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Monthly Report

Monthly Report 2021年11月号

「悪い円安」と日本の衰退をどう見るか

10月の為替市場で5年ぶりに114円台に円安が進み、原油価格の上昇基調を受けて新聞でも「悪い円安」という言葉が増えた。現時点では選挙の結果はわかっていないが、選挙後の円と世界の株価に注目したい。(11月1日 文責太田)

目 次
1、「悪い円安」論は妥当か
2、円の実力低下
3、日本の蘇生は岸田政権ではムリ
4、円安はエクセレント企業へメリット
5、最大の懸念は米利上げ
6、サプライチェーンの回復がインフレを抑える
7、米早期利上げの断行がリスク
8、サービス業回復と自動車生産の底打ちが日本株を押し上げ

「悪い円安」論は妥当か

10月15日の東京市場で円は対ドルで114円台を付けた。政府・日銀や市場関係者にとって円安は株高につながり「万歳」の声が聞こえそうだが、今回はどうも違ったムードが漂う。その理由は、円安に、原油高などエネルギー価格上昇が加わると日本企業の収益減少要因になる。その結果、国際競争力が低下し、1人当たり賃金の国際的順位が後退するという理屈だ。
15日の円は午後に一時、114.45円まで下落した。115円程度までの円安があってもおかしくないとの声も市場で出てきた。ただ株式市場で、輸出関連株はこの1週間での上昇が目立っていたこともあり、円が114円台に下落しても一段高を目指す動きにはなっていない。
「悪い円安」の1つの材料は、円安とほぼ同時進行している原油高だ。15日午前の米WIT原油先物は1バレル=81ドル後半で推移。1年前の2倍以上の高値で取引されている。原油高と円安が重なると、円で支払う日本企業のコスト負担は急増することになる。このため9月の輸入物価指数は、前年比31.3%増に跳ね上がっていたのだ。通常なら「円安は株価にプラス」との大合唱が起こる株式市場の中ですら「今回は悪い円安だ」との声が広がり出している。5年ぶりの円安のなかで、10月28日の金融決定会合の後の記者会見で、日銀の黒田総裁は「悪い円安とは思っていない」とコメントしたが、確かに、「悪い円安」論は妥当なのだろうか。

円の実力低下

通貨の実力(購買力)の指標として「ビッグマック」の価格がよく使われる。過去このマンスリーレポートでも取り上げたことがあるが、「ビックマック指数」を見ると、円の実力がわかる。現在ビックマックは4種類あるが、一番オーソドックスなビックマックの値段は、アメリカでは5.65ドル、日本では390円。つまり購買力は1ドル=69円(390÷5.65)だから、現実の為替レート114円ではその60%しかない。これが多くの人が「貧乏になった」と感じる原因だ。通常、円高になれば購買力は改善し、円安局面では悪化する。
日本の長期停滞は95年ころから始まったが、円安と購買力低下の直接の引き金は、安倍政権の円安誘導からだろう。2013年に日銀の黒田総裁が「量的・質的緩和」を宣言したころから大幅な円安・ドル高になり、円は1ドル=80円前後から120円前後になった。黒田総裁は2%のインフレ目標を設定し、通貨の量を増やし円の価値を下げて円安・ドル高に誘導しようというのが彼の目的だった。
2010年代まで日本は「貿易立国」であり、貿易黒字で国内の投資不足を埋めていたが、2009年の円高を契機に、日本の大手企業は海外生産に移行した。それによって貿易赤字になったため、黒田総裁は円安誘導で貿易黒字にしようとしたが、企業は戻ってこなかった。
インフレ目標は失敗したが、円安は実現した。その結果、日本人は実力の6割の価値しかない円で買い物をしなければならなくなったのだ。つまり原油のような輸入品の価格は実力の1.6倍の価格になる。通常ならインフレになるはずだが、そうならないのはなぜだろうか。物価が上がる代わりに賃金が抑えられたからである。10月15日に円は114円台の安値を付けたが、その翌日の日経新聞1面に「日本の年収30年横ばい」という記事が載っている。この30年でOECD諸国の年収は1.5倍になったが、日本はほとんど変わっていない。この事実は、富裕層も含めた国民全体の生活水準が地盤沈下していることを指摘している。

日本の蘇生は岸田政権ではムリ

安倍政権下で円安により企業が儲かる一方で、労働者は貧しくなった。これを安倍政権はインフレで解決しようとしたが、逆に格差は拡大してしまった。それを岸田政権は「新しい資本主義」で解決するというが、具体策は何もない。その原因がわからないからだ。
95年ころに比べて現在名目GDPは米国が2.9倍に膨れ上がっている。これに対し、日本は4.9%増にとどまる。GDPが増えなければ所得が増えないのは当然だ。挽回策はGDPを増やし所得を増やすしかない。名目GDPは物価上昇率と生産量を掛け合わせたものだから、適度な物価上昇の下で国内の消費や投資の規模を拡大し賃金を上げればいいのだ。「言うは易し」だが、四半世紀の長い間、デフレに染まった日本経済を民間任せで蘇生させるのは、そもそも無理スジだ。
先月、月刊雑誌に財務官僚が「バラマキ」を批判しているが、官僚が好む財政均衡至上主義は日本を自滅の道に誘導することになる。したがって、今後も政府の財政がカギとなる。日本は世界最大の余剰資金を有している。政府は国債を発行して資金を成長分野に積極的に振り向け、民間投資を誘う方法を取らなければならない。今回の自民党総裁選で高市氏だけが「プライマリーバランス」を当面凍結としたのが唯一救われたが。岸田首相の施政方針演説で「改革」の言葉はなかった。新政権にあるのは分配優先で、これは成長戦略を封じ込めることになる。賃上げ企業に減税で対応など、いわば小手先の対策なのだ。「新しい資本主義について考える」という悠長な会議も設置された。この政権も短命だろう。今回の円安はこの日本の弱点を突いてきているのかもしれない

円安はエクセレント企業へメリット

円安にはメリットとデメリットの両面があるが、短期的には景気に対してメリットが大きいと考えるのが一般的だ。購買力を下げ内需を低迷させる効果と比べ、外需を増加させる効果の方が大きいとみられるからだ。先進国では自国通貨安が短期的に経済全体にプラスの影響を与える。そもそも、総じて輸出産業は世界市場で競争しているエクセレント企業で、輸入企業は平均的な企業だから、エクセレント企業に恩恵を与える通貨安は、その国の経済全体を押し上げる力が強いのだろう。
円安の メリットは海外生産している企業にとっては海外法人利益の円換算額の増加という形で現れる。財務省統計の法人企業経常利益率では、すでに法人企業の経常利益率は、コロナショックから経済が立ち上がる前の 2021 年 4~6 月時点で、最高水準まで回復している。今後さらなる業績改善はほぼ確かであり、企業の支払い能力の向上と技術労働者の需給ひっ迫から賃金上昇に結び付いてもおかしくない。 円安による国際競争力向上はグローバル製造業と、内需では数年後に急拡大が予想される観光関連国内産業で顕在化すると考えられる。


最大の懸念は米利上げ

世界の株式市場にとって、最も懸念されるのは米国の利上げだろう。このレポートが出た直後に米金融政策を決めるFOMC(連邦公開市場委員会)が開催され、そこでテーパリング(資産購入の段階的縮小)の開始が決まるだろうが、パウエルFRB議長が利上げについて、どう言及するか注目されている。
現在、米市場は2022年中に2回の利上げがあることを織り込んだ状態にある。予想外のインフレ長期化に直面し、FRBがインフレ退治に動くとの見方が台頭しているようだ。しかし、パウエルFRB議長がハト派寄りの見解を示していることを考慮すれば、市場参加者の利上げ織り込み度合いは行き過ぎの可能性が高いと考えられる。
今後も世界的な株高が続くと見るポイントは以下の点だ。世界経済が回復基調を維持する下で、FRBの早期引き締め観測が後退することが重要な点だ。また日本株では、これまでの日本固有の要因による株価押上げも考慮した。

サプライチェーンの回復がインフレを抑える

具体的には、世界的にワクチン接種が進展するなかで、世界の新型コロナ新規死亡者数は明確に下向きのカーブを描き、経済活動再開も加速しつつある。投資家は既存のワクチンと新たな治療薬が所期の効果を発揮するという感染収束シナリオに自信を深めるだろう。
今後、コロナ影響で稼働率低下を余儀なくされた工場の再稼働も期待される。半導体不足はなお残存するものの、大きく見ればサプライチェーン問題は解決に向かい、物価上昇は落ち着き、スタグフレーション(不況と持続的な物価上昇の併存)は回避されるだろう。また米国においては、これまで手厚い失業給付を受け取っていた人の復職が進むことで「逆フィリップスカーブ」の実現が予想される。
一般的に失業率低下は賃金上昇圧力を通じて物価上昇につながる。この関係をグラフにしたものをフィリップスカーブと呼ぶが、今回の局面においてはその形状が逆となる可能性がある。というのも、最近の高インフレ予測の背景にあるサプライチェーン問題は、一部が労働者不足に起因しているからだ。現在、米国の手厚い手当で復職を躊躇している人が、手当の終了をもって2022年に復職を果たすことで労働需給が緩和すれば、インフレ圧力の低減につながる。今後失業率の低下に伴ってサプライチェーンが回復することでインフレ圧力は落ち着くと考えられる。
さらに米金利利上げ論には、政策当局のメンバーに極端なタカ派が含まれていた。パウエル議長(来年2月の任期満了後、再任を前提)はハト派寄りだが、2022年中の利上げを主張していたエリック・ローゼングレン・ボストン連銀総裁(2022年投票権あり)とロバート・カプラン・ダラス連銀総裁(2022年投票権なし)が昨年の証券売買を批判され9月末で退任した。利上げ派の9人のうち2人が退任したからも早期利上げ論後退の可能性を考慮する必要がある。

米早期利上げの断行がリスク

そもそも資源価格高騰、サプライチェーン問題といった供給側要因に起因するインフレを金融政策で対処するのか、という視点だ。参考事例としてECB(欧州中央銀行)が2011年に実施した利上げがある。当時ユーロ圏の消費者物価は、食料・エネルギーを除いたコアが1%台前半で安定していたものの、総合インフレはエネルギー価格主導で3%近傍へと上昇していた。景気が低迷するなか、金融緩和の必要性を主張する声もあったが、ECBはインフレ退治を優先して利上げを断行した。
この利上げはその後の景気後退と欧州債務問題の深刻化を招いた経緯がある。以上を踏まえると米国は、2022年中に2回の利上げを織り込むのはそもそも行き過ぎだろう。今後、早期利上げ観測が後退する下で、長期金利は低位安定を維持し、株価をサポートすると思っている。

サービス業回復と自動車生産の底打ちが日本株を押し上げ

日本は、今後サービス業の回復と自動車生産の底入れが期待される。サービス業については緊急事態宣言の全面解除後、経済の回復を示すデータはまだ入手できていないが、11月以降にさらなる制限緩和が期待されており、経済の復調が予想される。子育て世帯への現金給付案に加え、ワクチン接種証明を活用した「Go Toキャンペーン」の再開やマイナンバーカード保持者に「3万円」のポイントを付与する案も伝わっており、これら政策効果が個人消費を押し上げそうだ。
サービス業が復調すれば、設備投資の再開などを通じて製造業の回復持続も期待される。日本株の(欧米株に対する)相対劣後を正当化してきたサービス業PMI(購買担当者景況感指数)の差は縮小に向かい、日本株上昇の原動力となりそうだ。
そして、ここへ来て明るさが増しているのは自動車生産の底打ちだ。自動車最大手のトヨタ自動車はコロナ感染状況の悪化により滞っていた東南アジアからの部品調達が正常化しつつあり、9月と10月の大幅減産分を取り戻す計画を示した。11月に減産幅は縮小し、12月以降は挽回生産を検討するという。
経済産業省の生産予測調査に基づけば、輸送用機械は9月に前月比マイナス8.7%の減産となった後、10月はプラス15.8%へと増産が計画された。他の自動車メーカーも同様の状況にあるとするならば、12月に向けて生産は一段と回復する公算が大きい。
株式市場では輸送用機械のPER(株価収益率)が10倍前後まで低下するなど、追加減産リスクが嫌気されていただけに、こうした材料は一定の意味がありそうだ。当然のことながら自動車生産の回復に伴い鉄鋼、化学、非鉄金属といった関連業種の株価上昇も期待できる。  
現在、日経平均の予想PERは14倍台半ばだ。パンデミック発生前の水準への回帰にはまだ達していない。今後EPS(1株利益)成長率が1桁%後半の軌道を維持するなかで、株価はEPS成長率見合いで水準を切り上げていくと予想される。

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本資料、一般社団法人FLSG(以下当会といいます。)が投資家の皆様に情報提供を行う目的で作成したものであり、投資の勧誘を目的に作成されたものではありません。本資料は法令に基づく開示書類ではありません。本資料の作成にあたり、当会は情報の正確性等について最新の注意を払っておりますが、その正確性、完全性を保証するもではありません。本資料に記載した当会の見通し、予測、意見等(以下、見通し等)は、本資料の作成日現在のものであり、今後予告なしに変更されることがあります。また、本資料に記載した当社の見通し等、将来の景気や株価等の動きを保証するもではありません。

■レポート著者 プロフィール
氏名:太田光則
早稲田大学卒業後、ジュネーブ大学経済社会学部にてマクロ経済を専攻。
帰国後、和光証券(現みずほ証券)国際部入社。
スイス(ジュネーブ、チューリッヒ)、ロンドン、バーレーンにて一貫して海外の 機関投資家を担当。
現在、通信制大 学にて「個人の資産運 用」についての非常勤講師を務める。
証券経済学会会員。

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